2016年9月30日金曜日

長電話

Iさんから電話。
事務的なことについてのお話だったが、
その後、お友だちの話やお稽古の話をしてくださり。

そのほがらかな話し声に、こちらまで笑顔になっていたら、

「だから、あなた大丈夫よ。きっといいことがあるわ!」
と突然大きな声で励まされ、
「では、ごめんください」ガチャッ
と、電話が切れた。


時計を見ると、20分話していたみたい。
わぁ、長電話なんて学生以来だ~と心が弾む夕方なのでした。



  ちなみに、
  Iさんは最後の挨拶をしながら、受話器はすでに下ろし始めているので、
  電話の向こう側にいると突然「切られた」風に聞こえる。
  はじめはびっくりしたけど、電話口に立っている姿をみてその謎が解明した。
  今では、ガチャッと電話を切る姿が想像できるので、何となく笑みがこぼれてしまう。

(え)

2016年9月19日月曜日

思わせぶり

仕事柄、移動中の日焼けは避けられない。
日焼け止めを塗っても、入浴介助中の汗や雨で流れてしまうこともしばしば。
長袖やサンバイザーで防いでいるヘルパーさんを見ると、偉いなぁと思う。
そのため、夏が終わるころには結構いい色に仕上がる。


さて、先日のこと。
訪問の間に少し時間が空いたので、
近くのドラッグストアへ足りなくなった日用品を買いに行くことにした。

駐輪場に自転車を停めていたら視線を感じて、ちらっと横を向いた。
おじいちゃんに少し足を踏み入れたくらいのおじさんが、
太陽のような力強い笑顔で、うれしそうにこちらを見ている。

ん?どこかでお会いしたのかな。
誰かのご家族・・・かな。
いや、えっとやっぱり初めてお会いする方のような・・・。

自転車の位置を直すふりをしながらチラチラ見てみるけど、
おじさんの視線は一向に変化なし。ニカーッとしてる。


うん、とりあえず会釈をして、それでお店に入ってしまおう。
その作戦で横を通り過ぎようとしたら、

「あー、よく焼けてる!それによく鍛えている、うんうん。」と、満足げに確認され、
「あんた、何の選手だ?何かの選手だろう?!」と、うれしそうに声を掛けられた。


ひゃー!
焼けているのはお仕事柄なんです!
背が高いけど、運動神経は悪いし、腹筋もできないんですっ!
と心の中で叫びながら、

笑顔で「違います~」と手を振って、立ち去ろうとするも、

おじさん、
「いや、絶対そうだ。いや~、よく焼けてる!」と背中に向かって話し続ける。

違うんです、違うんです・・・あー・・・・
と思いながら、笑顔で手を振って店内へ。


おじさん、うれしそうだったな。
できればバンテリンとかサポーターとか買ってる姿を見せてあげたいけど、必要ないから、
ささっとトイレットペーパーを買って再会しないように帰ろう。


思わぬネタができた、そんな晩夏の午後でした。
(え)

2016年9月9日金曜日

歌というかたちを借りて

90歳のお誕生日を数年前に迎えたIさん。
「ほんとよー」が口癖です。

「あの曲、どうなりました?」と尋ねると、
「そうなのよ、ちょうどその話をしようと思ってたところ。テープお聞きになる?」と、カセットレコーダーを探してくださった。

Iさんはコードも習得されていて、伴奏なしの譜面でもコードが書いてありさえすればピアノで弾き語りできる。
「指を動かすのが脳にいいのよ」とか、
「ドミソって思って、脳に伝わって、ドミソって弾くっていう流れがいいみたい」とか、
「歌うって深く呼吸するでしょ、それが体にもいいのよね」とか、
歌うことと健康を、テレビや何かで知った情報と組み合わせて話してくださる。


でも、今日お話を聞いていて、
もしかしてこれって心にも体にもすごく影響しているのでは?と思ったことがあった。
それは、「だれかの前で自分を表現する」ということ。

Iさんが通う歌の先生のもとには、ほかにも生徒さんがいらっしゃるそうで、
お話を聞いていると、下は50代くらい~上はなんと100歳。

その方々全員に、たしか2カ月に1回くらいのペースで前に出て歌う機会がある。
そこでの表現は、誰からも優劣つけられることのない、その人だけの舞台。
その刺激って、脳トレの何千倍くらいになるんじゃなかろうか。


「気持ちを込めてって言われても、こんなロマンスは経験したことないわよ」
「そうよね、ふふふふ」
「何言ってるのよ、この時だけはそのつもりになって歌うのよぉ」
そんな会話を繰り広げながら、
先生からのアドバイスを聞いたり聞き流したりしながら、それぞれが自分なりに表現する場。

歌というかたちを借りて、きっとそこではその人が浮き上がってくる。そんな気がする。
でもきっと、おばあちゃまたちはそんな風には考えずに、「次あなたよ」と言いながらそわそわしているんだろうな。だからこそ、飾らないその人の歌が出てくるんだろうな。

その場面を一度も見たこともないのに、イメージだけはどんどん広がります。


こういう機会は大人になるとだんだん減ってくるような気がする。
本音は言いにくい、言えば「ガンコね」と言われたりもする。


「みんな(身体の)どこかしら悪いのよ。お茶を飲みながら話すのは、どこが悪いとか誰が何の病気になったとかそういう話。それでも来て歌うのよ。」

もはやわたしのイメージの中では、カッコいいおばあちゃんの集団でしかない。
きっと街で見かけても、その方たちだとは気がつかないだろう。
でも、どんな人の中にもこういうカッコよさがあると思うと、もっと話をきいてみたいなと思うのである。

(え)