2017年3月11日土曜日

オナラ


ある日、「あなたのおかげで、ずいぶん気が楽になったわ」と、突然Yさん。

どうやら、前の週に話した「主人の前でオナラをしてしまって~」という告白のことを指しているご様子。

 

とても女性らしいYさんは、今でも、他界されたご主人を間近で感じでいらっしゃるし、だから人前(=ご主人の前でもある)でオナラをするのは恥ずかしく情けない、とおっしゃる。

 

「えりちゃんよ~、年をとるってのはこういうことだよ。今にわかるよ。」とおっしゃるYさん。その場面に立ち合い、「これからきっと何度も経験するであろうオナラを笑顔でお迎えしてほしい」とわたしは思ってしまい、とっさに前述の話をした。

「わたしはもうすでに、オナラを聞かせてしまっています」と。Yさんは大きな声で笑った。

 


その日の帰り道に、わたしは自分のためにオナラの話をしてしまったな、という気がしていました。Yさんの恥ずかしさや情けなさの前でどんな風に居たらいいのかわからずに、笑わせる方向に逃げてしまった。笑顔をみて、わたしが安心したかった。

 

生きることは老いることと思いながら、その変化を受け止めたり受け止められなかったりする時に、そうかと聞ける相手でいたいと思いながら、身体はそちらへはシフトしていなかった。

 


だから、次の週に「気が楽になった」と言われても、思い当たる節がなかった。何のことですか?と聞いて、やっと話がつながった。

 

Yさんの話はこうだった。

「オナラをすることは恥ずかしい。でも、あなたが人前でオナラをしてしまうと聞いて、立派な人じゃないんだなと分かってよかった。もう、ありのままでも大丈夫だね。」

YさんがYさんの意味に消化してくれたことで、わたしが救われた。

 


こんな風にしたいと思って行動したことが、思い通りの結果を生むわけではないから、何かを意図するということは無駄だなぁと思うことがあった。だから、その時々で最善手を打てる経験と体力と、勝負師のようなたくましい心をつけなきゃなぁと。

でも、自分じゃないんだな。相手があって、今ここにいられるんだなと感じた。

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