2017年3月29日水曜日

「できない」のか、「しない」のか


出会った情報について、覚えていたり関心を持ったりすることは「自分に関係がある」ことだと思う。

逆に、すぐ忘れてしまったり聞き流したり、さらには聞かなくてもいい・読まなくてもいいと判断することもある。それは「自分には関係がない」ということとほぼイコールで、そうやってバランスをとっている、という感じがしている。

全部を覚えているのは到底無理だし、その必要もない。

 

「自分とは関係がないから」というとき、その中には関係はあるんだけど「関われない」「関わり方がわからない」が含まれていることがあるなぁ、と思った。

「それ、とても大切だと思います。でもごめんなさい、関われないんです。」
「関わりたいと思うんですけど、どうしたらいいのかわからなくて。」みたいな気持ち。
たとえば家族や親族の介護に対して。たとえば通勤途中に、捨てられた犬を見つけてしまった時。


身近な誰かがそう判断して、そんな判断をしているその人自身を責めていたら、「言い訳でもいいんじゃない。タイミングだもの。逃げることが必要な時もある。」と言いたくなると思う。内容にもよるのかな。

 

 

それでも、

できるだけ「できない」じゃなくて、「しない」と言いたいなと思った。
「できない」には、誰かのせいにするニュアンスが含まれているような気がしたので。
「できない」という言葉には、理由を説明しなくてもいい魔法がかかっているような気がしたので。

 

「しない」と言うには、理由を説明する必要がある。説明するには、わかっている必要がある。「今はしません」でもいいと思うし。実際に口に出す言葉は選ぶけれど。自分が自分に対してなんと言うか、という話なのだけど。

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