2017年9月8日金曜日

お盆の風景


あっという間に時は過ぎ、外は秋の風。
 
時季外れの話になるが、国分寺のお盆は7/318/3
オカイコさんをやっていたおうちが多く、「仕事の関係で、忙しいのを避けるためにお盆は7/31からなのよ」と、お風呂に入りながらMさんが聞かせてくれた。
 
だから、何となくは知っていた。だけど体になじむまで、5年くらいかかった。道の角に胡瓜の馬や茄子の牛が置いてあっても、日付を意識していなかったんだと思う。
そもそもお盆というもの自体を、自らを担い手として意識していなかったからかもしれない。
 
 
子どもの頃のお盆と言えば、
深夜に車に乗って田舎に行くことで、その道中はあらかじめ買ってあったお菓子をたらふく食べてよくて、田舎に行くとおじいちゃんやおばあちゃんはもちろんのこと、親戚やいとこに会えて、ダラダラと過ごす。田舎って何にもないなと退屈していると「おーい、まちへ行くぞー」と声がかかり、スーパーへ山を下って行く。
夕方になると明かりのついていない古い提灯を持って、お向かいの山をジグザグに上って、お寺に行き、ロウソクに火をつけて提灯にともして、またジグザグ帰る。
その日の夜は、いとこと一緒に花火をして、川の音とカエルの声を聞きながら眠るのだ。
…それが「お盆」だと思っていた。
 
という話をしたら、
「それはお盆の話じゃなくて、風景の話でしょ。」とするどいツッコミ。もちろん訪問先での話。
 
 
今は、事情があって母の骨の一部が近くのお寺に預けてあるので、お盆になるとそこへお参りに行く。自分がやらなければ誰もやらない、と思うとお盆がぐっと近づいてくる。
 
「あれ?今お参りしてもここにはいないのかな?
 あ、そもそもここにはいないのかしら。」と、手を合わせながらブツブツつぶやく。
母の日に他界したからカーネーションを供える。
「そうか、母だけじゃないよな。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、もっとずっと前からか~」帰り道にまたブツブツ。
 
 
話は戻って、
国分寺もそうだけど、訪問先のお宅によって出身地が違うからお盆に出会う期間は長くなる。
訪問するとお孫さんたちがお金を出し合って買ったという灯篭が出してあったり、
「初物を供えるのよ」と小さなお野菜が盆棚に並んでいたり、
きちんとお盆を過ごす風景に出会うことができる。
 
「悩み事の相談は、ご先祖様にするといいよ」というアドバイスは、年中してもらえる。

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